養老渓谷へ川廻し地形を見に行く

 川廻し地形とは
 蛇行した河川を人工的に短絡させて農地等に転用した地形で、千葉県の房総丘陵で多く見られる。
 養老川、小櫃川、小糸川の中・上流域に多い。蛇行している河川で、上流・下流が近接するところをトンネルや切り通しでつなぎ、それによって干上がった旧河床を農地に利用するというもので、江戸期に盛んに行われた。
 千葉以外では、新潟に事例があるが、こちらは「川瀬違え」と言う。
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 4/1 晴れ。気温もどんどん上がり、今年初の夏日となった。

 主力部隊は、12時01分、2両編成のディーゼル車で養老渓谷駅に到着。

 榛名からの福田夫妻は、目黒に前泊とのこと。松本さんのお友達を含め、総勢(たぶん)19名。定刻の12:50に出発する。

 


 JR五井からの小湊鉄道は、旧国鉄のキハ20形に準拠した、キハ200形。ロングシートでトイレなし。
 画像は、桜と菜の花の、上総大久保駅。この撮影のため、高橋は養老渓谷駅に遅れた。


 例によって、伊藤さんの仕切りで定刻に出発。松本さんグループは、1本前の列車で来て栗又の滝から合流。





 養老渓谷駅は、1954(昭和29)年に朝生原駅から改称された。養老渓谷までは1日5往復、養老渓谷から終点の上総中野までは1日3往復。よって、この踏み切りは、1日に6回だけ閉まる。



 地図の①地点。養老川の開削箇所を渓谷橋から見る。昔の尾根道である。弘文洞と同様、当初はトンネルだったが、崩落により切り通しとなった。



 上流側の画像。こちらは農地が明確にわかるが、下流側は今は竹やぶ状態で、本流跡も不鮮明だ。



開削場所に近い宝衛橋から旧尾根の渓谷橋(①地点)を望む。



(トンネルの画像はロケハン時点のもの。)
 ②地点から、梅ヶ瀬川の川廻しトンネルを見る。実際に、川原まで下りて、目の当たりにできたのは2名のみ。
 ③地点で、地元の方に昔の町の様子を聞く。川廻し前は水運の要衝で、商店も多かったとのこと。
 確かに、川に面した右岸に住居が集まっている。駅側でなく川側が表玄関だったのだろう。
 ④地点で近藤さん一時離脱。⑤地点で14時20分となり、駅へ戻る会長隊と弘文洞跡へ向かう原本隊(はらもと隊)に分かれる。
 実は原本さんこそ、私(高橋)に川廻し地形の面白さを伝えた張本人である。


 ⑥地点は、唯一、川廻し地形を観光に生かしている弘文洞跡。
 江戸末期にトンネルで開削したが、徐々に内部崩落が進み、1979(昭和54)年5月24日に崩壊し切り通しとなった。



 この大胆な崩落箇所が、国土地理院の地形図では、何故か、いまだに尾根続きのままである。




 ⑦地点は、房総に多い素掘りのトンネル。房総丘陵は土地が柔らかく、手軽に掘れるため、トンネルや切り通しが多い。



⑧地点は川廻しで確保した農地が明確に見れる地点。
 ただし、交通量が多く歩道のない県道からの金網越しの眺望である。



 うまく育てられれば、期間の限られる紅葉と異なり、通年観光の目玉となるのではなかろうか。




 遠隔地の「地図の旅」であったが、好天にも恵まれ多数の参加者を得ることができました。無事故でなにより。


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