多摩市/OLDニュータウンを歩く
桃色:歩き
水色:公共交通機関(バス、モノレール、電車)
紫色:斥候の歩いた道
いつもは例会が行われる聖蹟桜ヶ丘に朝9時に集合。1925年(大正14年)開業した時の駅名は関戸。まずは”聖蹟”の謎を解きに聖蹟記念館を目指す。
1930年(昭和5年)竣工の聖蹟記念館は関根要太郎設計。百十三銀行本店(北海道函館市)や埼玉県立上尾高等学校(埼玉県上尾市)を手がけた。
初代仮面ライダーと死神博士の対決のロケ現場でもある。
諏訪団地は多摩ニュータウンの第5住区で、伝説の1971年(昭和46年)の第1次開発地。会員の中にも元入居者が。
まさに、living legend.住民の交流・結束は強かったとのこと。
多摩中央公園に移設された旧富沢家住宅。江戸中期の建造。富沢家は連光寺村の名主を代々つとめ、戦後も市長を輩出した地元の名家。明治天皇が兎狩した際には御小休所として利用された。朝、お話を伺った富沢さんの旧宅。
けっこう細かな意匠に富む。
(付人の控室である小座敷)
多摩市の読図
◆大正10年測量◆
位置:都心から30Km
地形:50m~150mの丘陵、広い河原の多摩川、蛇行する大栗川,乞田川
行政:多摩村、稲城村
産業:農業(水田、畑、桑)
交通:渡し、仮橋(一の宮、関戸)
鉄道:
・京王電気軌道 大5新宿~府中開業、多摩川架橋問題で経営不振に。
・玉南電気鉄道 大14府中~八王子開業。
大15合併。昭3新宿~八王子直通運転開始。
・下河原貨物線(旧東京砂利鉄道) 明43国分寺~下河原開業。
・南武鉄道(旧多摩川砂利鉄道)昭5川崎~立川開業。
・多摩鉄道 大11武蔵境~是政開業。
・幻の南津鉄道
明治末~大正期設立の私鉄=砂利採取、運搬が主目的(重く安い商品→消費地立地→多摩川の酷使)
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◆昭和29年測量◆
多摩川沿い地区
関戸橋、是政橋←渡し・仮橋
細長い池(競艇場 なぜ?)
関東大震災前後より砂の需要が急増。手掘りから機械掘りへ。
→河床の低下、橋脚の露出、農業用水の取水難 →規制強化へ。
多摩丘陵地区
鳥獣実験場、聖蹟記念館
山・土塁の囲まれた独立建物 (昭12~19 多摩川火工廠)→米軍施設
交通
京王帝都電鉄、国鉄南武線、西武武蔵野線
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◆昭和44年測量◆
住宅建設の急増
・多摩川沿い農地の宅地化
桜ヶ丘一の宮団地(東京都住宅公社)
・多摩丘陵山林地の住宅化
桜ヶ丘団地(昭和37年、京王電鉄分譲開始)
ニュータウン建設の背景
昭和30年代 都心への人口集中→住宅難→郊外への拡張
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◆昭和54年測量◆
ニュータウン住宅団地誕生
昭46諏訪,永山地区入居開始。
昭51貝取,豊ヶ丘,落合入居開始。
下河原線の廃止、武蔵野線(貨物)開業←京浜工業地帯に新物流ルート
米軍多摩サービス補助施設
沿線沿い丘陵北斜面の住宅化→西武百草園団地
大栗川,乞田川の河川改修
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◆平成11年測量◆
ニュータウンは西へ拡大 鶴牧,松が丘,南大沢
京王帝都電鉄 南大沢→橋本へ伸張
多摩センター駅南に新しい核が誕生。構想ビル軍、パルテノン多摩、中央公園、多摩都市モノレール
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