目黒 2019/10/6

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 10:00 東急目黒線武蔵小山駅に集合。広島からのKさんに加え、ゲスト2名を含む15名でスタート。曇りの予報でしたが、11時頃から雨。午後は持ち直しましたが、晴れの連続記録は11回で途切れることとなりました。
<1/10000「品川」 1923年(大正12)発行>
 目蒲線は1923年開業。小山駅は翌年武蔵小山駅に改称。駅周辺に人家はなく畑の中に。この年に関東大震災が起き、沿線の人口が急増しました。
 全長800mというアーケード商店街から品川用水大井分水に沿って進みます。
 朝日地蔵尊。寛政元年(1789)の道標は、1956年に移設され左右が反対になりました。
<1/10000「品川」「碑文谷」 1909年(明治43)発行>
 1900年に目黒試験苗圃として発足した林業試験場は1978年に筑波研究学園都市に移転。目黒競馬場は、1907年開設、1933年に府中へ移転。江戸期からの行楽地、目黒不動尊は天台宗の瀧泉寺。地図記号は当然卍。
 目黒競馬場跡を散策。周縁の湾曲以外に残照は見つかりませんでした。
 目黒不動尊。瀧泉寺の守護神である日吉神社の山王型鳥居と狛犬。
 雑な記念写真(^_^)
<1/10000「三田」「品川」 1909年(明治43)発行>
 田んぼのなかを流れる目黒川。段丘を直登する行人坂。川面の岩永邸(日本郵船の専務)は後の目黒雅叙園。河岸段丘の裾を三田用水が流れ、鉄道は台地を開削して通しました。1885年開設の目黒駅の所在地は荏原郡大崎町(品川区上大崎二丁目)。白金火薬庫は、白金御料地を経て東京都庭園美術館や自然教育園。
 太鼓橋で目黒川を渡り、目黒雅叙園前のお七の井戸から明和の大火(1772年)の出火元、大圓寺。
<頭の整理>
・八百屋お七は、天和の大火(1683年)で焼け出され、避難先で寺の小姓と恋仲になる。
・お七は、寺小姓に会いたい一心で自宅に放火(ぼや)、火刑となる。
・寺小姓は明王院の僧侶となり、お七の菩提を念じながら境内の井戸で水垢離をとった。それが "お七の井戸"。
・明王院があったのが目黒雅叙園の入り口あたりで、そこは大圓寺のお隣。
 山手線をガードでくぐり、長者丸踏切。山手貨物線(埼京線、湘南新宿ライン)の踏切。上を走る山手線と、ここで立体交差します。
 2002年の新茶屋通り拡張まで、三田用水の水路橋が残されていました。
<1/10000「三田」1958年(昭和33)発行>
 中目黒公園、防衛装備庁艦艇装備研究所は、イギリス連邦占領軍(オーストラリア軍)のエビスキャンプ。長さ247m の水槽を持つ艦艇装備研究所は健在。東京ガスタンクは1991年に撤去され現在はマンション。目黒川の船入場も形状が残っています。工業試験所は清掃工場に。
 名所江戸百景「爺々が茶屋」(歌川広重)は、ここ。正面には目黒清掃工場。落語 「目黒のさんま」 の舞台は、このあたりか。創作だけど。
 なお、品川区の「目黒のさんま祭り」と目黒区の「目黒区民まつり(目黒のSUNまつり)」は別開催。
 ゴールの「めぐろ歴史資料館」は旧・目黒区立第二中学校。
 8.7km、意外とアップダウンがあるコースでした。

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