浦和宿から盆栽町へ 2023/4/2
1/25000「浦和」昭和1.12.28発行 |
浦和駅~調神社~埼玉会館~北浦和公園~北浦和駅~(京浜東北線)~さいたま新都心駅~鴻沼用水路~氷川神社~盆栽町~土呂駅 |
10:00 浦和駅集合。ゲスト2名を加え8名の参加。地元のSさんの案内で出発。先ずは、調(つきのみや)神社。延喜式内社。今年(2023年)は卯年なので、狛ウサギで人気。 |
調神社からは尾根筋の旧中山道を北上。地理院地図の「自分で作る色別標高図」に干渉色をセットし微地形を表したもの。 |
埼玉会館は1966年(昭和41年)竣工。設計は前川國男。 |
北浦和公園は旧制浦和高校跡地。公園内に建つ埼玉県立近代美術館は1982年開館。黒川紀章設計。国立新美術館へつながる曲面を生かしたファサード。 黒川の代表作、中銀カプセルタワービルのカプセルも展示されています。 |
北浦和駅から2駅乗車し、2000年開業のさいたま新都心駅へ。絹糸の片倉工業は、商業施設のコクーン(繭)シティに。 1/25000「浦和」昭和44.2.28発行 |
さいたま新都心駅のホームから見えるのは鴻沼(こうぬま)用水路に架かる高台(こうだい)橋。明治22年ごろの建造で土木学会「日本の近代土木遺産」に選定されています。 |
『鴻沼(高沼)は、下落合から鹿手袋にかけてあった南北に細長い沼(概ね地図西南の水色部分)で、農業用の溜井として利用されていた。 江戸中期に沼の中央部に排水路が開削され陸地化(水田化)され、同時に見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水に代わる用水として「鴻沼用水」を引いた。見沼代用水のミニュチュア版』(鴻沼資料館資料より抜粋) |
氷川神社。武蔵国一宮、延喜式内社。江戸初期までは参道が中山道でした。 |
氷川神社から、大宮公園を抜け盆栽町へ。 1/25000「岩槻」昭和44.3.30発行 |
関東大震災後の大正14年(1925)東京小石川周辺の盆栽業者が入植。盆栽村として「自治村」を目指しました。最盛期は30軒以上の盆栽園があり、現在も5軒の盆栽園が営まれ、さいたま市の伝統産業事業所に指定されています。 |
旧土呂町の通称盆栽村は、昭和15年に旧大宮市に編入され盆栽町として正式の地名になりました。 |
さいたま市が運営する「さいたま市大宮盆栽美術館」 さいたま国際盆栽アカデミー として外国人向け養成講座も開設しています。 |
さいたま市では、自治会などでも盆栽講座が開催されているとのこと。 |
好天に恵まれ、充実した一日。最後は、土呂駅で解散。 |
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