「 鶴岡 」 ~ 井戸田 with 松本、久保田 ~

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10月10日(日)
 午前中、講師の樋口さんの案内で山形市内を回り、昼食後解散。
 昼食後は松本さん、久保田さんと3人で「城下町やまがた探検地図」の「蔵とレトロ建築をめぐるコース」へ。十字路で四方に延びる道路の傾斜を見ながら、扇頂から扇端へ下っていく道とそこに交わる平らな道を確認。道路と建物の段差でも高低差を確認。唯一「地図の会」らしい観察をした。
 予定している列車の時刻に合わせコースの半分以上を巡り、次の目的地「鶴岡」へ。
 実は久保田さんも相当の「鉄子さん」。8日に出発して、列車を乗り継いで新潟経由で、とても時間をかけて山形まで来たとのこと。久保田さんには同じコースを戻ってもらった。
 山形・鶴岡の直行バスならば2時間くらいで行けるところを、鉄路で行くと2回の乗り換えで3時間以上。接続する特急が遅れたため出発時間が遅れたりしたが、「鉄子さん」二人と一緒だと不安もなく、沿線の鉄道情報・味覚情報などなど、いろいろなお話を聞きながらの楽しい旅となった。

16:23 山形発 JR奥羽本線 新庄行き
17:35 新庄着
18:26 新庄発 JR陸羽西線 余目行き
19:11 余目着
19:19 余目発 JR羽越本線 鼠ケ関行き
19:37 鶴岡着 


 秋の陽は短く、途中、最上川沿いを走る絶景は闇の中。秋晴れの村上地方と庄内地方は文化だけでなく天候も違い、鶴岡までの沿線には土砂降りを思わせる水たまりが増えていった。そして鶴岡駅はかなりの雨。
 雨の日曜日の夜のためか街は駅前でも予想以上に暗く、ホテルが駅前でよかった。

10月11日(月・祝)
(地図、画像ともクリックで拡大します。地図上の番号は、記事の場所を示します)


8:30 鶴岡駅前のホテル出発 ①
 ホテルの8階レストランから朝の庄内平野を望む。鳥海山などの山々は雲に隠れていたが、稲刈りの終わった田んぼが広がる。近くに目立って小高い所は見当たらなかった。松本さんが指さす所、雲の間に虹の切れ端が2本現れた。
 ホテルの隣にあるJAの鶴岡倉庫の前を通り、鶴岡カトリック教会を目指す。

9:00 大泉橋 ②
 駅からの道が内川にぶつかった所に大泉橋がある。開運橋までの間「内川ほっとパーク」として整備されており、開運橋から先の橋が少しずつ新しいデザインで架け替えられている。
9:15 丙申堂 ③
 残念ながら、丙申堂の開館は9:30より。鶴岡カトリック教会を目指し歩いていたら、地元の床屋さんと遭遇。月曜日でお店が休みなので、お散歩中であった。知り合いの珍しい駄菓子屋さんへ案内してくれると、ここからボランティアガイドとして私たちを先導してくれた。

9:20 鶴岡カトリック教会天主堂
 外観のみ見て、駄菓子屋さんへ。城下町のお城の近くらしいクネクネ路地を抜けて案内されたが、地図だけではたどり着けそうにない。

9:35 梅津菓子店 ④
 創業元禄、現在10代目の老舗。小麦粉のせんべいの中におもちゃを入れてある「からからせんべい」や、諸越(もろこし)でできた「きつね面」などなど。
 東京にある昭和のイメージの駄菓子屋とは違った、いわゆる庄内地方の郷土菓子を売っている。珍しいのでお土産用にごっそり買い込み、宅配便で送ってもらう。

 こちらの看板おばあちゃんは床屋さんのお友達だったようだが、残念ながらお店に出てきてくれなかった。店の壁に掛けてある書は、現在のお殿様(従兄弟らしい?)が書いたものとのこと。
 床屋さんが次の目的地「致道館」のある「鶴岡公園」まで、引き続きボランティアガイドを買って出てくださる。
 道々のお話で、庄内藩の藩校であった「致道館」の建物は、明治時代に「朝暘第一尋常小学校」として使われ、昭和34年まで「朝暘第一小学校」として続き、床屋さんの母校とのこと。
 床屋さんのご先祖様も庄内藩の重役だったらしい。城下町の人々の中に、庄内藩が生き続けている。

10:35 致道館
11:20 藤沢周平記念館
 「鶴岡公園」の辺りで一番人の多かったのが、今年のゴールデンウイークにオープンした「藤沢周平記念館」。多くは中高年であったが、藤沢周平の人気の高さを示している。
 市内には小説の舞台となる場所に解説板も設けられ、街全体が藤沢周平の世界となっていた。

12:10 致道博物館 ⑤
 「致道博物館」よりタクシーで15分ほどの「松ヶ岡開墾記念館」へ。

13:50 松ヶ岡開墾記念館 ⑥⑦
 鶴岡市街から少し高台にできている記念館。現存の5棟は養蚕に使っていたもので、明治維新後、庄内藩の藩士たちによって作られた。
 ここの建物の瓦は、取り壊された鶴ヶ岡城の屋根瓦を藩士たちが一つずつ運んだものだそうだ。
 ここでは現金収入になる養蚕と庄内柿の栽培をしていた。記念館の近くの柿の木は、収穫しやすいよう背丈は低いが古い木らしく太い幹だった。
 売店ではこのあたりで収穫された野菜や果物も売られており、重たいのに主婦はついお土産に買ってしまった。「待カフェ」も、ここで作った野菜などを使って食事を出していた。

 古い建物は記念館やギャラリーだけでなく、庄内映画村資料館や庄内映画村株式会社の事務所としても利用されており、映画で町おこしの拠点となっていた。
 再びタクシーで市街地へ。

16:05 芭蕉乗船地跡
 「芭蕉乗船地跡」の説明板を読んでいたら、近所のおばあさんが「長山邸跡へ行ったか?」と声をかけてきた。
 私たちが芭蕉の足跡を辿っていたのかと思ったらしく、「芭蕉が訪れた所なので連れて行ってあげる」とまたまたボランティアガイドを名乗り出てくれた。
 いろいろお話をしてくださったが、山形市内で聞いた言葉と、ここ庄内の言葉は微妙に違った。例会で樋口さんがおっしゃっていた地域性を実感した。

16:20 長山重行邸跡(松尾芭蕉句碑) ⑧
 芭蕉逗留地である「長山邸跡」は、「鶴岡まちなかキネマ」の敷地内に整備されていた。
 「まちキネ」は昭和初期建築の木造工場を生かした映画館(シネコン?)で、庄内映画村ロケ作品を中心に上映していた。工場も松ヶ岡開墾場に始まる絹織物産業を支えた、代表的な事業所であった。

16:30 富樫ろうそく店
16:40 山王日枝神社(松尾芭蕉句碑) ⑨
 境内には樹齢300年の大ケヤキや、池の畔に芭蕉の「めずらしや山をいで羽の初茄子」の古い句碑があった。
 長山邸跡にも同じ句碑があったが、こちらはまだ新しかった。

16:45 致道館聖廟旧趾
17:00 鶴岡駅
 駆け足の山形の旅もこれで終了。あとは帰るだけとなった。そこで夕飯の確保。鶴岡駅には駅弁がないのでそれに代わるものをと探したが、見つかったのは駅のコンビニのおにぎりだけであった。しかしこのおにぎり、普通のおにぎりではなかった。
 使っているお米は「つや姫」、この秋デビューしたての山形特産の新品種米。山形市内ではこの米の宣伝をよく見たが、鶴岡ではほとんど見かけなかった。これも地域性でここは庄内米の他の品種を主力商品にしているので「つや姫」は宣伝しないと思っていたが。
 「つや姫」は、庄内の幻の米「亀の尾」の流れをくむお米だそうで、酒米としても適しているということなので、家へはその米で作った地酒を買った。おにぎりにして冷めてもおいしいお米だった。

18:20 鶴岡発 JR羽越本線 いなほ14号 新潟行き
20:08 新潟着
20:19 新潟発 JR上越新幹線 Maxとき350号 東京行き
22:28 東京着


 今回は、地方例会初参加だった上に、自分たちで計画して巡る会であった。山形ビギナーということもあり、全面的に山形ヘビーリピーター&「鉄子さん」の松本さんの計画にのり連れていっていただく形だったので、とても楽な旅ができた。
 気持に余裕を持って回れたせいか、いつも旅の足跡をGPSで残しているのだが、よくやるスイッチを入れ忘れるということもなく、初めて3日間完璧に記録できた。

 旅の途中で親切な山形の方たちと出会い、またここを訪れたくなり、もっと山形を知りたくなった。今回の旅を踏まえ、次はもっと地図の旅らしいものができるのではないかと思う。
 今回の地方例会開催にご尽力くださった皆さま、講師の樋口さんに、心より感謝いたします。


 

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