取手の旅 小堀の渡しと旧取手宿本陣 2009/4/5


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 やっと、春らしくなった陽気の中、参加者はゲスト参加を含めて21名です。まずは、利根川を右岸へ渡り、小堀(おおほり)を目指します。
 河川改修により、千葉県側に取り残されたかたちになる小堀は、茨城県取手市の管理する渡船と循環バスにより、結ばれています。
 渡船の定員は12名なので、オーバーする若干名は、ほぼ同じ時間に走る循環バスを利用します。

 ①前方の取手緑地運動公園の常磐線鉄橋下にある「取手ふれあい桟橋」をめざします。

 明治36年図では、同じ場所に「停船所」の記号がありますが、これは河川航路の港です。

 現在の大利根橋の位置に「人馬渡」の記号がありますので、利根川の渡船は、ここにあったと思われます。
 また、小堀と上根古屋、下根古屋の間にも人馬渡があります。

 取手駅は、1896年(明治29)に開業していますが、小堀が河川交通の要衝であったことが読み取れます。

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 ②バス組の方が先に到着したので、渡船組を堤防上で待ちます。

 小堀の旧家である倉持さんに、小堀河岸のお話を伺いました。
 関宿~小堀間の浅瀬に対処するための、江戸、銚子航路の艀下(はしけ)河岸として、特別な権益が認められていたようです。
 高瀬舟の船大工の釘打ちの音色が聞こえて来そうです。

 1967年(昭和42)に取手町営になるまで、小堀の渡しは住民自らが運営していました。
 たまに子供が川に落ちても、みんな泳げるので、いちいち助け上げたりはしなかったようです。

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 ③旧川にあたる古利根沼は、当然のことながら淀んだ気配がただよいます。





 艀下河岸時代の流れ水手(かこ)の無縁仏が残ります。

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 ④帰路はサッカー場前へ渡ります。

 渡船に使用されている「とりで号」は動力船なので、大正6年式地図記号までだと、「汽船渡」の記号が使われたはずです。

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 ⑤左岸に戻り、夏の甲子園で優勝した公立高校として有名な取手二高におじゃまし、長く教育界で活躍された田園カルチャーセンターの櫻井徳郎先生に農業と地域の絆、櫻井由子先生に河岸段丘の形成などのお話をうかがいました。


 地図の旅愛好会のテーマにジャストフィットなので、時間が許せば、2時間くらいの質疑応答を行いたかったです。

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 ⑥最後は旧取手宿本陣でしめます。
 1795年(寛政7)に建てられ、1987年(昭和62)まで使用されていた萱葺きの染野家住宅です。
 徳川斉昭から贈られた歌碑も残っています。

 駅から1分の長禅寺下にも、古い町並みが残っています。

 農業視点で街を歩くと、街なかで鍬を売っているのに気付きました。

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