渋谷の川歩き

 今日は、川づくしです。
 とは言え、清流に親しむ訳ではない。川の多くは暗渠です。

 恵比寿駅西口に集合した4名のゲスト参加を含む総勢20名(推定)の参加者は、まず渋谷橋から渋谷川を望みます。
 コンクリートで固められた断面積重視の川ですが、高度処理した透明度の高い下水が流れています。

 次いで、いもり川の暗渠を進みます。住居表示は渋谷区広尾ですが、タイムスリップしたような地域で、モルタルの文化住宅が現役で残っています。狭い路地なのに下水のマンホールがあるのを誰かが発見しました。いもり川階段を登り(昔なら滝登り?)、渋谷区立郷土博物館・文学館へ向います。
 ミニ博物館ですが、東京オリンピックで渋谷が変わったことがよく分かります。この辺は学校が多く、金王八幡宮には、青山学院やICUの合格祈願絵馬がありました。神さま違いの心配はいらないのだろうか。

 昼食後は、宇田川の遡行です。当然ここも暗渠です。西武A館、B館間の地下通路がないのは何故、東急本店に地下がないのは何故、の答えを解き、鍋島松濤公園で大休止。ここは、佐賀鍋島家が明治になってから茶園を開いたもので、元は紀州徳川家下屋敷とのこと。1909(明治42)年の1/10000地形図には鍋島農園の表記があります。
 次は代々木公園へ向います。広い公園ですが、地図記号の「記念碑」は一つしかありません。それが、「日本航空発始之地」です。その後、代々木八幡神社へ。境内は以外に広く、荘厳ですらあります。

 まだまだ川は続きます。
 宇田川支流の初台川を遡行、「春の小川」の河骨川合流点を過ぎると、ほぼ原型を残した橋が見えてきます。初台橋は1959(昭和34)年竣工なので、少なくともオリンピックごろまでは、水は流れていたのでしょう。
 最後は、玉川上水です。多摩川を羽村で取水した上水は、新宿四谷の大木戸まで続いており、上、中流部は国の史跡になっています。解散場所の幡ヶ谷駅まで、暗渠上の公園を歩きます。
 川を視点に歩くと、分かりづらくなっている地形の高低差が見えてきます。地図の旅愛好会ならではの、有益な都市探索でした。



大岡昇平の「少年 -ある自伝の試み-」

 大岡昇平は幼少年期を渋谷で過ごしており、1917(大正7)年の中渋谷(東急本店東側)への転居から、松濤二丁目での青山学院中等部4年までの自伝が「少年」である。あとがきに「自分の記憶を、文献や知人の証言によってたしかめ・・」と有るように、参謀本部地形図を確認しながら、少年時代の行動範囲の地形を正確に記述している。
 渋谷駅・大向小学校付近図 (上に添付)
 大向橋付近略図
 青山学院付近略図
 松濤付近略図
 桜横丁・衛戍監獄付近図

が、挿入されており、今回のルートのほとんどをカバーできる。
絶版ですが、図書館にあると思います。



<画像集>
渋谷橋からの渋谷川

いもり川跡

金王八幡宮

渋谷川の暗渠口(渋谷駅南口)

日本航空発始之地

代々木八幡宮

宇田川(初台川)跡

初台橋

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