花冷えの続く中、桃の里で売り出し中の茨城県古河市を訪ねました。
午前は古河市観光協会ボランティアガイドの方々の案内で市内散策。 午後は桃まつり開催中の古河総合公園を訪ねる「桃桜コース」と、茨城県、埼玉県、栃木県、群馬県の4県に足を踏み入れる「渡良瀬遊水地コース」に別れ、春の一日を楽しみます。 |
10:40 古河駅観光案内所を出発し、日光街道を歩きます。
古河は万葉集にも詠われ、室町期には古河公方の拠点となった歴史ある街で、江戸時代には日光街道の宿場町として栄えました。
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地図は1885(明治18)年測量の1/20000迅速図です。このあたりは、明治末の河川改修で、大きく地形が変わっています。 古河は城下町ですが、城郭は渡良瀬川を堀とする低地にあったため、城跡は堤防や河川敷とされ、痕跡はありません。 街を歩くと雪の結晶をモチーフとした舗道タイルや学校の校章が目に付きます。これは、古河藩の第4代藩主土井利位(どいとしつら)がオランダから輸入した顕微鏡を使って雪の結晶を観察したことに由来します。 この殿様、学卒肌と思いきや、大坂城代在任中に大塩平八郎の乱を鎮圧したり、天保の改革時の反水野クーデターに加わり、老中首座まで登りつめるなど、かなりのやり手です。 蘭学者の鷹見泉石(渡辺崋山筆の国宝鷹見泉石像で有名)を重用し、その縁は時を経て古河歴史博物館に贈られた、オランダの自動楽器ストリートオルガン(手動の空気圧を動力源として自動演奏)に連なります。
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<日本建築学会賞(作品賞)の古河歴史博物館>
<泉石記念館>
 次いで、文学講座や展示図録の発刊など、生きた活動が盛んな文学館へ。SP蓄音機の演奏を特別に行ってもらいました。
篆刻美術館、永井路子旧宅を経て、最後は土井家歴代の墓所である正定寺を訪ねます。ここで丸山さんが自転車で登場。習志野から走って来たとのことです。
 昼食は老舗のホテル山水で町おこしのカレーめんをいただき、午前の部は無事終了です。

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<午後の部> 「渡良瀬遊水地コース」
 健脚班のこのコース、何故か女性比率が高くなります。 まず三国橋の橋上で埼玉県に越境します。その後、遊水池の堤防上のひたすら歩き、群馬県、栃木県に足跡を残し、埼玉県の「道の駅きたかわべ」を目指します。 なにやら、巡検風になって来ました。 所在地が埼玉県加須市(かぞし,2010/3/23に合併新設、旧北川辺町)にある電話ボックスの局番が古河管内であることに納得していましたが、その後の調査で古河事体がNTT栃木の管轄であることが判りました。 |
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妙に女性陣の歩きが早いのは・・・、道の駅で地元の農産物を狙っているようです。営業時間内に到達し、あらぬ不興をかうことは免れました。 17時に東武日光線柳生駅に着き、無事散会です。
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(おまけ)
空腹の2名は、川魚料理「丸一」で「なまず天重」(900円)と「鯉天重」(600円)を食べたようです。 味的には、鯉に軍配が上がったとのことです。
外見上の判別は不能ですが、上が鯉、下が鯰。
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2 件のコメント:
鯉天重の写真のアップ、
ありがとうございます。
当方、携帯の容量不足のため、
保存されていませんでした。(^_^;
高橋(て)です。
ここ、鈴木君しか見にきていないかも。(LOL)
掲示板の方も、たまに何か投稿してください。
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