台東区東南部 (佐竹商店街~両国駅) 2015/4/5
東京の桜も今日で最後、小雨の中の巡検となりました。 10:00 都営大江戸線新御徒町駅集合。この辺りは駅が集中しているので、銀座線上野広小路駅やJR,日比谷線御徒町駅から来た人もいるようです。ゲスト1名を含む14名で出発します。 |
先ずは佐竹商店街。秋田藩佐竹家上屋敷跡地が明治中ごろから発展し、上野、浅草と並ぶ東京の代表的な盛り場・娯楽街として賑わいました。 日曜日なので閉まっている店が目立ちますが、今も現役の商店街です。 |
三味線堀跡地。地図は明治初期の1/5000 東京図測量原図。転軫橋の転軫(てんじん)とは、三味線の糸巻き部のこと。 |
おかず横丁。町工場での共稼ぎ世帯が多く、関東大震災後に惣菜屋が集まりました。戦災をまぬがれたため、昭和初期の建屋が多く残っています。 |
鳥越神社。境内には、関東大震災後の東京市による「土地區劃整理測量基本標」が建っています。 |
暗渠となった鳥越川、甚内神社、きりしたん殉教記念碑、浅草天文台(頒暦所御用屋敷)と回り、午前の部終了。うどん、定食、中華、ラーメンに分かれて昼食。 |
午後は、榊神社。ここの変遷は、 1875年(明治8年)~1881年(明治14年):浅草文庫(湯島聖堂から移設された公立図書館) 1881年(明治14年)~1923年(大正12年):東京職工学校~東京工業学校~東京高等工業学校 1928年(昭和3年)~:榊神社(柳橋から移転) ずいぶんマッチョな狛犬がいます。 |
地形図での変遷。 1/5000 東京図測量原図(1876-84)、1/10000地形図 1908-09、1/10000地形図 1916-21 |
隅田川テラスと鳥越川の水門。江戸幕府の米蔵が、明治末まで残っていました。1/20000迅速測図(明治中期)。 |
両国橋を渡り、回向院の横の初代両国国技館跡を経て 15:10 両国駅前で解散。ルート図上の距離は6.0kmでした。 |
Google Earth での巡検鳥瞰ルート |
迅速測図(明治中期)。高度1000m 時速250km。 <0:50> |
現在 航空写真。高度300m 時速80km。 <2:32> |
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