千住の旅 2016/4/3

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 東京の桜は満開。天気予報は曇りでしたが、早朝は強い雨。
 10:00 JR南千住駅集合。まだ、雨が少し残っるなか、ゲスト1名を含む13名で出発します。
 南千住駅前の芭蕉像。「千じゆと云う所にて船をあがれば・・」ここで、どちら岸か書いておいいてくれれば。
 次いで栗友亭跡。東京初の定打演芸場は南千住に生まれました。1955年(昭和30年)から4年あまりの短い期間でしたが、多くの漫才師が育っていきました。
 建屋は今も荒物屋として健在です。切文字看板跡の彩度を変えてみると、「演○場○○亭」まで読み取れました。
 安政の大獄などの刑死者の墓石がある南千住回向院(小塚原回向院)。
 延命寺の首切地蔵は、1741年(寛保元年)造立、1895年(明治28年)に鉄道建設のため移設。2011年の東日本大震災で損傷を受けました。
 隅田川駅(JR貨物)1896年(明治29年)開業。隅田川水運との連絡のための水路が引き込まれていました。 写真は下見の時のもの。
(左)1/10000 明治43年ごろ (右)1/10000 昭和9年ごろ(改描されています)
(左)1/10000 昭和35年ごろ (右)1/10000 昭和63年ごろ
 都電の車庫は、都バス南千住自動車営業所になっています。
 円通寺。彰義隊の戦死者を埋葬。上野戦争の弾痕が残る寛永寺黒門が移設されています。
 千住製絨所は官営の羊毛工場として、1879年(明治12年)の操業を開始しました。荒川区総合スポーツセンターには操業当時の油彩画が展示されています。
 診療所や保育所を持つ先進的な工場で、地元では「ラシャ場」として親しまれていました。戦後は民間企業となりましたが、老朽化、公害問題などで1960年に閉鎖。
 跡地の一部は、大毎オリオンズの東京スタジアムとなりましたが、これも1972年に閉鎖。煉瓦製の塀が一部残っています。初代所長井上省三の胸像は、東京スタジアム解体の際に行方不明となり、1990年に草むらから発見されるという数奇な運命をたどっています。
 荒川ふるさと文化館、素盞雄神社(すさのお)、熊野神社から千住大橋を渡り、北千住側の芭蕉像。
 江戸期から栄えた、やっちゃ場(青果市場)は、戦後、公設の足立市場を経て、青果専業の北足立市場へと続いています。
 日光(奥州)街道を進み、千住本町で昼食。ワンコイン鰻丼、惣菜屋の270円自家製弁当など、お安いお店がたくさんありました。
 惣菜屋組は、東京芸術センターからの眺望も楽しんだようです。
 午後は、千住宿散策。
 銭湯ファンの間では「キングオブ銭湯」と呼ばれるらしい大黒湯から、「お化け煙突」のあった千住火力発電所横の隅田川土手で解散。(15:15、6.3km)
 ルートを 1/25000 東京首部 昭和5年測図,昭和7年発行にのせたもの。
動画 (2:42)

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