高輪、台場 2022/4/3

1/20000 迅速速図(明治始め)
 高輪ゲートウェイ駅→高輪大木戸跡→高輪橋架道橋(下トンネル)→芝浦橋→芝浦アンカレイジ→レインボーブリッジ→台場公園
 さくら満開の後の冷たい雨。13:30 高輪ゲートウェイ駅集合。駅名で物議を醸した高輪ゲートウェイ駅も開業3年目に入りました。駅舎のデザインは隈研吾建築都市設計事務所。お馴染みの木材を多用した作りです。JR品川車両基地の跡地につくられた新駅、現在は暫定開業の扱いで駅前は再開発中。高輪築堤跡が発掘されたのも、この工事箇所です。
 参加者は6名。まん延防止重点措置は3/17で終了しましたが、おそらく歴代最少人数、冷たい雨の巡検です。
 旧東海道(R15)に出て北上すると高輪大木戸跡。普段は車道に面している几号水準点を、車道工事中で間近に見ることができました。
 前半の山場は、高輪築堤跡。公開されている訳ではありませんが、工事フェンスの隙間から見られました。Insta360の自撮り棒から。
 高輪築堤は、1872年(明治5年)に日本初の鉄道が開通した際、海上に線路を敷くために造られた長い堤。後の工事で損壊していると思われていましたが、2019年に約800mの石積遺構が確認されました。明治初年に水中に埋めた杭は松材。
 次いで高輪橋架道橋。下の道路(トンネル)は高さ制限1.5mで、ちょうちん殺しと言われていました。個人タクシーの提灯型行灯は、少し高さがあり、トンネル出入口の傾斜で提灯が破損することがあったらしい。現在は車両通行禁止。ここも、再開発で早晩なくなります。
 高輪橋架道橋の説明は元国鉄マンのHさんより。国鉄内部では架道橋は "ガドウキョウ" と発音。
「高輪橋架道橋」という名称:おそらく、築提東側の埋立てが進む過程で、築提下を抜ける水路に道路橋(高輪橋)が出来た。その後、線路の増加に際し道路橋の上に架道橋(BV)を設けた。(道路橋と交差するのではなく並行に。その後埋立てが進み、水路が道路に)
<国鉄用語>
 道路が上:跨線道路橋(BO)、道路が下:架道橋(BV)、鉄道線路が上:跨線線路橋(BI)、連続立体交差:高架橋(BL)、河川水路:橋梁(B)
 埋立地側へ抜け芝浦橋。1970年竣工。橋の上にかかるのは新幹線大井回送線芝浦併用橋。奥は休止中の貨物線。ここも、橋が重なっています。トラス橋の主構を、上の橋が橋台として使っている珍しい構造。
 高浜運河を越える東京モノレール。
 レインボーブリッジ西詰のループ部。一般道とゆりかもめが一周して、海上部との高度差を埋めます。
 芝浦アンカレイジ(ケーブルの端を固定するブロック)をエレベータで上り、南側遊歩道へ。
 中央が品川コンテナ埠頭。その奥、写真では判別しませんが赤いクレーンが並ぶのが大井埠頭。
 台場公園(第三台場)、フジテレビ本社ビル。
 台場公園(第三台場)。第三台場(砲台)は行田の忍藩(おしはん)が警備を担当しました。
 最後、台場公園を一周して解散。
6.8km
<地図>
 1/25000「東京西南部」「東京南部」大正8年発行(1919年)
 芝浦の埋立てが進むが、地図記号は荒地、高輪築提の東側は埋立てられているが、高輪橋架道橋の下には水路が残っている。台場の軍事的価値はなくなり、払下げが始まる。品川電車庫の開設は1910年。
 1/25000「東京西南部」「東京南部」昭和22年発行(1947年)
 埋立てが進み、第四台場は陸続きとなる。 新芝町、芝浦町、月見町の地名が現れる。第三台場は1915年に東京市の史跡公園になる。高輪の台地上には、竹田宮邸、朝香宮邸、毛利邸、岩崎邸が見える。
 1/25000「東京西南部」「東京南部」昭和42年発行(1967年)
 第一台場が新しく完成した埋立地品川埠頭に埋没。鉄道の引かれた芝浦岸壁。後の港区台場、江東区青海の埋立てが進む。東京モノレールは、1964年開業。
 1/25000「東京西南部」「東京南部」平成6年発行(1994年)
 レインボーブリッジは1993年開通。ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線の開業は翌1995年なので、地図上は「建設中の鉄道」 芝浦ふ頭の鉄道が消える。
「地理院地図」2022.4.4
 港区台場、江東区青海の地名が現れる。東京臨海高速鉄道りんかい線は1996年開業。高輪ゲートウェイ駅は2020年開業。東京海洋大学は、東京商船大学と東京水産大学が統合し2003年に開学。お台場海浜公園は、2021年の東京2020オリンピックでトライアスロン、マラソンスイミングの会場となった。
出典:農研機構農業環境変動研究センター、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)

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