流山 2021/10/3
馬橋駅→(流山線)→流山駅→万上線(貨物支線)跡→流山市立博物館→近藤勇陣屋跡→一茶双樹記念館→赤城神社→江戸川土手→流山橋跡→三郷駅 |
何度目かの緊急事態宣言が解除されましたが、会食を回避するため午後開催としました。よって、13:00 流鉄馬橋駅集合。流鉄流山線は、6駅、5.7km。交通系カードが使えないので、久方ぶりに券売機で切符(200円)を購入しました。 流鉄(2008年までは総武流山電鉄)流山線は1916年に軽便鉄道として開業、1924年に改軌、戦後の1949年に電化。独立系の鉄道会社として孤高を保っています。かなり揺れましたが、鉄道技術者だったHさんによると、バラストの砕石が摩耗して列車通過時に部分的に沈み込み、泥水が噴出した跡が散見されるとのこと。 |
参加者はゲスト1名を含め10名。天候は晴れ。13:30、流山駅から歩きはじめ。 |
万上線(貨物支線)跡を歩き、流山本町まちなかミュージアム。キッコーマン工場の壁面に「白みりん」の歴史が掲示されています。白みりんは、江戸後期の文化11年(1814年)流山の堀切紋次郎が商品化、江戸市中で大人気となりました。 |
流山の白みりんは、堀切家の万丈(現:流山キッコーマン)と秋元家の天晴(現:MCフード)が一世を風靡しました。一時途絶えていた天晴ブランドは2015年に復活。 |
万丈通りの畳屋さん。近年、畳の縁がパッチワークなどで使われているとのこと。 |
流山市加1丁目にある流山市立博物館。かつての加村。江戸期には、下総に一万石の飛地領のある田中藩(現在の藤枝市)本多家の陣屋が置かれました。 |
流山市立博物館では、流鉄開業までのいきさつや野田までの延長計画について解説していただきました。 |
明治6年の千葉県誕生まで、葛飾県、印旛県の県庁が博物館周辺に置かれました。 |
利根運河の開設は明治21年(1888年)、舟運の最盛期は、日本鉄道土浦線開業(1896年)までの短い期間でした。 |
明治時代の町のようす。煙突の立つ堀切家の万丈味醂(現流山キッコーマン)の物流基盤は江戸川の舟運。その後、鉄道の万上線(貨物支線)からトラック輸送に移り変わっています。 流山キッコーマン工場は現役ですが、2013年に地図記号「工場」が廃止になったのでわかりにくくなっています。 |
新選組近藤勇が護送された矢河原(やっから)の渡しから流山本町どおり。商家が立ち並んでいたかつてのメインストリート。伝統建築は単体なので "街並み" としての訴求力はありません。 |
呉服新川屋店舗。1890年(明治23年)建造。国の登録有形文化財。道路拡張に合わせ、セットバックと建屋自体のかさ上げを行ったとのことです。 |
新選組陣屋跡から一茶双樹記念館。天晴ブランドの秋元家の邸宅を移築した施設。五代目秋元三左衛門(俳号双樹)と小林一茶は交友があり、一茶はこの地を数十回訪れています。お庭鑑賞と見せかけて大休止。 |
大しめ縄の赤城神社。赤城山の山体の一部が流れてきたので流山となったとの伝承があります。 |
1935年(昭和10年)に竣工した初代流山橋の橋脚跡。赤城神社に大きな架設記念碑がありますが利用期間は短く、1965年(昭和40年)に、2代目流山橋が開通しています。 |
(2代目)流山橋を渡り、三郷駅で解散。橋の途中で、千葉県から埼玉県へ越境しました。 |
<地図> 1/20000 迅速速図(明治始め) |
1/20000「小金」明治40年(1908年)製版 |
1/25000「流山」昭和5年(1930年)発行 1916年(大正5年)流山軽便鉄道開業。 1925年(大正14年)流山糧秣廠設置。 |
1/25000「流山」昭和27年(1952年)発行 1935年(昭和10年)初代流山橋竣工。 |
1/25000「流山」昭和43年(1968年)発行 1965年(昭和40年)2代目流山橋竣工。 |
1/25000「流山」昭和53年(1978年)発行 1973年(昭和48年)武蔵野線 府中本町駅~ 新松戸駅間開業。 |
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