土浦 2021/4/4

 昨年中止とした土浦。コロナ禍は続いていますが、緊急事態宣言が解除されたので開催することにしました。10:30 土浦駅集合。参加者は今までで最少の6名。天候は晴れのち曇り、一時小雨。サクラは終わっていましたが、人出も少なくじっくり歩くことができました。  コースは地元のSさんが転居となったため、マニアックな市街の土塁を外し、「真鍋のさくら」を加えるノーマルルート。距離は 7.5km となりました。
 土浦駅は星野リゾートのホテルや図書館を併設。ペデストリアンデッキで繋がる正面は元イトーヨーカドーを大幅にリフォームした市役所。茨城県で3番目に市制を布いた土浦市ですが、公共施設が元気のなくなった街の起爆剤となるのだろうか。
 先ずは川口川跡に設けられた土浦ニューウェイと併設された商店街の モール505。505は3階建てのショッピングモールと公園を合わせた長さ(505m)から命名されました。
 土浦ニューウェイは、つくば科学万博に際し、土浦駅から筑波学園都市方面を結んだ 約3kmの高架自動車道。1985年の開通時は常磐線土浦駅とつくば市域(谷田部町など。つくば市誕生は1987年)を結ぶ意味合いがありましたが、2005年のつくばエクスプレス開業後は立ち位置が微妙になっています。
 厳しそうなモール505。お話をうかがったアパレル販売の方のお話では、広い商圏で凝った商品に限定して扱っているとのこと。
 開設当時は珍しかった野外エスカレーターは進入禁止。
 川跡を歩き、水戸街道(陸前浜街道)との交差点。川口川に架かっていた桜橋親柱と土浦町道路元標。
 土浦まちかど蔵「野村」文化庁の登録有形文化財です。(下見時の画像)
 重厚な立体看板建築。
 昼食はリスク回避のため、各自ばらばらにとりました。桜橋たもとの老舗で天丼。街おこしのツェッペリンカレー、まちかど蔵「野村」でお弁当など。
 午後は土浦城址公園。土屋家9万5000石の城。土屋政直は徳川綱吉から吉宗まで4代にわたって老中を務めました。
 土浦市立博物館。近代の展示がなく期待外れでした。
 お城から水戸街道を北上。筑波鉄道筑波線真鍋駅(新土浦駅)跡。1987年に廃止された筑波鉄道筑波線は、常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅間(40.1km)を結んでいました。単線非電化路線で、現在は自転車道になっています。1960年頃の行楽期には、上野駅や日立駅からの国鉄車両が乗り入れていました。
 真鍋の台地へ上り、土浦一高旧本館。明治37年(1904年)竣工。国の重文。一般公開は第二土曜日のみなので、近づけません。
 真鍋のサクラ。1907年(明治40年)の真鍋小学校新校舎落成記念で植えられたソメイヨシノの古木。拡張工事により校庭の真ん中に。さくら祭りの時期のみ開放。ただし、今年のさくらは終わっていました。
 帰路は時おり雨のぱらつくなか廃線跡を歩きます。盛土の上の単線路。自転車専用でなく歩行者との供用なので、ママチャリ向け
 JR線に並走し、駅構内へ。正面の建屋先が筑波線土浦駅でした。
 最後は、霞ヶ浦を見て解散。不思議な四角柱は、頓挫したマンション建設の基礎部分。
 明治初めの迅速測図。
 1/50000 「土浦」1929年(昭和4年)修正、1947年発行。土浦が輝いていたころ。常磐線、筑波線に加え常南電気鉄道(土浦駅~阿見駅)が営業(1926年~1938年) 川口川河口には停船所(昭和30年図式までの地図記号)
 土浦町役場は桜橋北の水戸街道沿いにありました。真鍋町役場は土浦中学への坂の途中、水戸街道の桜川南岸には中家村役場。

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