立川 2025/4/6

<前半> 元の米軍立川基地東部から滑走路の北端まで
米軍立川基地のメインゲート跡→立川ステージガーデン→
多摩モノレール立川北駅 (乗車)→立飛駅(トイレ休憩)→
立川広域防災基地→国立極地研究所→砂川「平和之礎」

<後半> 米軍の施設や住居エリアだった国営昭和記念公園を巡る
昭和記念公園 砂川口ゲート→昭和記念公園で昼食(桜など)→立川駅
今日の参加者は広島からのKさん、ゲストを含み13名。地元のIさんの案内で Pedestrian deck(ペデストリアンデッキ=歩行者甲板)からスタート。
<歴史>
明治はじめまでは、立川村は甲州街道、砂川村は五日市街道沿いに集落が点在する農村地域。
1889年(明治22年) 甲武鉄道(現在のJR中央線)が新宿-立川間で開業。
1893年(明治26年) 三多摩は神奈川県から東京府に移管される。
1922年(大正11年) 立川村に、陸軍飛行第5連隊の立川飛行場が設置される。
1930年(昭和5年) 石川島飛行機製作所が月島から立川町へ移転。後に立川飛行機へ改称。
1945年(昭和20年) 米軍に立川飛行場が接収され立川基地となる。1977年(昭和52年)まで。
1957年(昭和32年) 砂川町で、滑走路拡張の強制測量をきっかけに砂川事件が発生。
1960年(昭和35年) 横田飛行場を拡張し、米軍主力を立川から横田基地へ順次移転。
1963年(昭和38年) 立川市と砂川町が合併。
1972年(昭和47年) 「陸上自衛隊東部方面航空隊本部」が移駐し日米共同使用が始まる。
1977年(昭和52年) 米軍の「立川基地」全面返還。
1983年(昭和58年) 国営昭和記念公園、第一期開園。
1988年(昭和63年) 立川防災合同庁舎本館が完成。
1994年(平成6年) 米軍基地跡地にオフィス・商業地区「ファーレ立川」開設。
2009年(平成21年) 東京地方裁判所、東京地方検察庁立川支部、立川拘置所などを設置。
2015年(平成27年) ショッピングセンター「ららぽーと立川立飛」開業。

緑川跡。駅北口は飛行場に降った雨が集まる洪水常襲地帯となり、1947年(昭和22年)に完成した排水路は緑川と名付けられました。
多摩モノレールが通るこのエリアは陸軍飛行連隊格納庫跡地。
陸軍飛行第5連隊正門跡地。戦後は米軍立川基地正門。遺構は跡形もなく撤去され、米軍時代に植えられたヒマラヤ杉のみ残ります。
多摩モノレール立川北駅から立川立飛駅まで2駅乗車。改装したノコギリ屋根工場は立川飛行機を継承した立飛ホールディングス(グループ会社の主業は不動産管理)の賃貸施設。
立川飛行機時代の給水塔と、継承した立飛企業発祥之地碑。代表機は九五式一型練習機(通称、赤トンボ)、ライセンス生産したのは一式戦闘機「隼」など。戦後は、タチヒ電気洗濯機の製造など。人的にはプリンス自動車工業(日産自動車)へつながります。
米軍「立川基地」返還エリアには、立川防災合同庁舎、陸上自衛隊立川駐屯地、海上保安庁、警視庁、東京消防庁などの施設からなる「立川広域防災基地」 映画 シン・ゴジラでは緊急災害対策本部が置かれました。
旧米軍「立川基地」北端。この滑走路の延長計画が「砂川闘争」の始まりです。
江戸初期に新田開発が始まった砂川。十数代続く農家も多かったようです。砂川闘争による滑走路拡張中止がなければ、立川基地拡張、横田基地返還となっていたかも。
午後の部は、昭和記念公園。砂川口ゲートから入り園内で昼食。その後は、歩くペースにあわせて、流れ解散。昭和記念公園は旧米軍「立川基地」の施設や居住エリア。日本陸軍時代は弾薬庫や研究施設がありました。
隈さん建築。
フェンス越しに自衛隊の立川駐屯地。
残堀川。普段は水がなく、砂川という地名の起源説があります。
立川口ゲートへ続くカナール。秋は、切り揃えたイチョウが見事らしい。公式サイトによると「隣接する自衛隊の滑走路の航空制限が8mに規定されていて、木の高さを7mにする必要があるため」
最後は、立川の新しいランドマーク、立川ステージガーデンから屋上のスカイデッキ。13.5km
鳥瞰動画(4:53)


<地図をみてみよう> 縮尺は原図のもの。
「府中」1/20000、1909年(明治42年)発行。
甲武鉄道の開通は1889(明治22)年、青梅鉄道は1894年(明治27年) 立川村役場は駅の南西ですが、立川駅の出入り口は北側のみ。蒸気機関車で使う水の提供を砂川村から受けたのが理由のようです。地図に「第二中学校」と記されているのは、1901(明治34)年に東京府で2番目に開設された東京府第二中学校。甲州街道の「日野渡」は、1926(大正15)年に日野橋が開通するまで使われました。
「立川」1/25000、1935年(昭和10年)発行。
「立川飛行場」の開設は1922(大正11)年。地図記号 M は陸軍施設。「航空本部技術部」、「飛行五」(飛行第五連隊)、「飛行機制作場」は立川飛行機、朝日新聞社の「神風号」が立川飛行場からロンドンへ飛んだのは1937(昭和12)年。飛行場西の「養豚場」は岩崎弥太郎の甥、岩崎輝弥が経営する立川養豚場。五日市鉄道の「武蔵上ノ原駅」は1944(昭和19)年の国有化に際に廃止されました。中央線から分岐する「貨物線」は、多摩川の砂利を運んだのでしょう。地図面東の区画は堤康次郎(西武)の国立学園都市。「音楽学校」は現在国立音大附属中・高。
「OME」1/50000、1945年(昭和20年)米陸軍地図サービス。
地図の注記に「1945年に日本の帝国陸地測量部 1:25,000、府中 1935年、青梅 1936年、拝島 1935年をもとに再描画。 平面図の詳細は、1945年の航空写真から写真平面図法で修正。インテリジェンスレポート、1943年」 戦時改描したはずの村山・山口貯水池(拡大地図の外)も、きっちりダム湖として描かれています。
「TACHIKAWA」1/12500、1946年(昭和21年)米陸軍地図サービス。
地図の注記は「1944 年12月、1945年1月、4月の航空写真から写真平面法で1945年に編集。日本帝国陸地測量部の 1:25,000 青梅 1936年、拝島 1935年、所沢 1935年、府中 1941年、日本政府鉄道時刻表から編集。追加情報はインテリジェンス・データから。地名はローマ字で表記。爆撃および破壊された地物に関する情報は、範囲図に示されている写真の全部または一部から取られており、必ずしも完全ではありません」とあります。
「立川」1/25000、1947年(昭和22年)発行。更新は『資修』(資料修正)、作成機関は地理調査所(1945年まで陸軍陸地測量部、1960年に国土地理院に改称)
旧軍関係の名称を削除しただけの感じ。廃止されている「武蔵上ノ原駅」が描かれ、東京都立第二中学校は府立のまま。1944(昭和19)年に国有化された五日市鉄道は五日市線に改められている。
「立川」1/10000、1955年(昭和30年)発行。
緑川が開渠で描かれている。戦時中に建物疎開した仲町通りの空白エリアが生々しい。グランドホテルは米軍施設か。立川市営の競輪場は1951年(昭和26年)オープン。
「立川北部」1/10000、1955年(昭和30年)発行。
飛行場の北。砂川闘争の現場です。金毘羅橋が架かるのは玉川上水。五日市街道と「砂川用水」に面して連なるのは砂川の町。 立川基地拡張計画の対象となったのは滑走路延長線上の砂川四番、五番。反対同盟の結成集会は、阿豆佐味天神社で行われました。
「立川」1/25000、1971年(昭和46年)発行。
米軍基地時代の地形図に巡検ルートを重ねたもの。米軍を表す注記、境界線などは皆無。基地エリアの地名(立川市泉町、昭島市福島町など)は標記されていない。
「立川」1/25000、1980年(昭和55年)発行。
米軍立川基地の返還は1977年(昭和52年)。跡地開発が始まる前。地図記号の「破線で囲まれた斜め線」は建物類似の建築物(無壁舎)。格納庫と思われます。
「立川」1/25000、1985年(昭和60年)発行。
国営昭和記念公園の第一期開園は、1983年(昭和58年)。基地跡西部の建物はなくなり、平坦地だった土地に等高線が描かれるようになりました。多摩ニュータウンの残土も運び込まれたようです。公園の半分は昭島市で、園内の福島町は昭島(昭和村+福島町)の由来となった地名です。園内に残る堅ろう建物「太線で囲まれた斜め線」は2棟に減りました。広大な滑走路のエリアは陸上自衛隊立川駐屯地。
「立川」1/25000、2000年(平成12年)発行。
昭和記念公園の窪地は池になりました。基地跡東に5つ並んでいた格納庫はなくなり、多摩都市モノレールが通っています。災害医療センターが荒地の中に作られています。立川駅東の線路の輻輳区間は更地になっています。
「地理院地図」2025/4/8 ダウンロード。
昭和記念公園の第2期区域は2014年(平成26年)に開園。東側は北から拘置所、海上保安試験研究センター、国語研究所、極地研究所、自治大学校が「注記」され、地図記号は「市役所」「官公署」「裁判署」「病院」「警察署」、更に公園エリアには「博物館」 ※国土地理院の地図記号では裁判所でなく裁判署。
航空写真(1968年)に、巡検ルートを追記したもの。ベトナム戦争の北爆時期(ローリング・サンダー作戦は1965年~1968年)なので、輸送機や補給機の運用が行われていたと思われます。写っているのはプロペラ輸送機か。
最新のGoogleMap航空写真に、巡検ルートを追記したもの。昭和記念公園の立川口サイクルセンター(平屋)やイチョウが高さ 8mに制限されているカナールは、滑走路への離発着ルート。

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